心の身だしなみを整える”四つのテスト”

こんにちは。椎名優理です。
先日、愛知に住んでいる友人夫婦と神社めぐりをしました。
神社めぐりと言っても、行ったのは家から近い鹿島神宮と香取神宮なんですが。
鹿島神宮と香取神宮と息栖神社の3つをお参りする事を”東国三社めぐり”と言って、昔から伊勢神宮を参拝した後に東国三社めぐりをすると、物凄くご利益があるといって人気だそうです。
パワースポットが好きな人は、茨城に来たらやってみると良いかもです。
が、今日私が伝えたいのは、東国三社めぐりのご利益についてではなく。
香取神宮で見つけた、こんな言葉をシェアしたいなぁと思いました。
四つのテスト
~言行はこれに照らしてから~
一、真実かどうか
二、みんなに公平か
三、好意と友情を深めるか
四、みんなのためになるかどうか
何かを発言するとき、何かをする時、この4つを心の中で問いなさい。当てはまらないなら、それは言ったりやったりするべきではないですよ、という教えですね。
誰の教えなのかはわからなかったんですが、これってすごく大事なことだなぁと思うんです。旦那さんとこれを読みながら、「真理だねぇ」と思わず頷きあいました。
そして、私自身も大事にしていることでもあるなぁとも思いました。
でもね。
これって自分以外の人に求めた瞬間に、”エゴ”になると思うんですよ。
どんなエゴかっていうと、
”ウソをつく人が許せない”
”ひいきする人が許せない”
”好意的、友好的でない人が許せない”
”「みんなのため」を考えていない人が許せない”
そんな「怒りが湧いている自分をなだめてもらいたい」というエゴ。
エゴがあってはダメだとかは思わない。湧いてしまうものはしょうがないから。私も湧くときあるし。
でも、それを人に強制した段階で、自分もこの”4つのテスト”から外れることになるんですよね。「自分のことは棚に上げて…!」と逆ギレされるのがオチですね。それではコミュニケーションに進歩がないと思うんです。
だから心の中で、自分の言行に対して問い、エゴが言動に出そうになったときもまた、心の中で観察する。なぜそのエゴが湧いてきたかを知ろうとするんです。人を改めさせようとする前に。
反射的に湧いたエゴも、観察を重ねていくと「相手に○○してよ(しないでよ)!」という荒々しい気持ちから、「自分は○○してほしかった(しないでほしかった)」という純粋な気持ちが出てくるんですよね。心の中で、ろ過されるみたいに。
”4つのテスト”を他人に求めたくなる人にとって問題なのは、許せないことをした”誰か”や”事実”じゃない。
「自分は○○してほしかった(しないでほしかった)」という、自分の純粋な気持ちに気づいてない自分、自分のエゴを認めず人を改めさせようとする自分—–そんな”自分のことが見えていない自分”なんだと思います。
自分の姿をよく見なさい。
神社のご神体の多くが鏡なのは、そういう意味もあるみたいですね。
私自身これからも4つのテストで心の身だしなみを整えながら、人とのコミュニケーションを重ねていこうと思います^^
鹿島神宮の鹿が可愛い…♡
セラピスト、椎名優理でした。