「愛されてない」人は、実は「愛されるのを避けている」?!

昨日のブログ(⇒「”向き合う”って、つまりどういうこと?」の答え)で、「向き合う」とは「意識的に、あるいは無意識的に
避けたくなるものから逃げないということ。」という表現をしたのですが、今日はその補足です。
「避けたくなるもの」は、悪いものばかりじゃない!
「向き合う」とは「意識的に、あるいは無意識的に
避けたくなるものから逃げない。」ということ。
でも「避けたくなるもの」は、必ずしも悪いものとは限りません。
(本人が意識的にか無意識的にか「イヤだ」と思っていることには変わりませんが。)
例えば、悪いものではない例を挙げると
愛されること
元気に挨拶すること
何かが人よりも「できる」こと
など。
それらを避けたくなる理由は、それを避けなければ、自分が自分でなくなってしまう気がするから。あるいは、自分がタブーとしているルールを破ることになるから。
愛されることを避けたくなる理由(例)
例えば、愛されることを意識的・無意識的に避けるとしたら。
・女性らしい(男性らしい)振る舞いに抵抗がある
・「愛される人はこんな人だ」という理想像があって、自分はそうなれない(なりたくない)と思い込んでいる
・愛される人を失った(あるいは愛してくれる人がいない)という強烈な記憶や体験がある
など。
そして、「どうせ私は愛されない」「愛してくれる人がいなくても、平気だし!」と卑屈になったり拗ねたり強がってる自分を「自分」だということにしてる。
そりゃあ、愛されないでしょうよ(笑)。
もし愛されたいと思うなら、卑屈になったり拗ねたり強がってる自分がいるな~と認めることから始めてみるとヨイですよ~。
そして、その気持ちをいつから持ってるかな~って、記憶を辿ってみると、色んな事実に気がつくでしょう^^
例えば、
好きな人や大事な人に「可愛くない」「あんたには(女らしい・男らしいと思っていた)○○は似合わない」と言われてしまった、とか。
あるいは「もしかして、自分は愛されてないんじゃないか…?」と思ってしまった(またはそう思わざるを得ないような事実を知ってしまった)!とか。
そうやって、心の中に刺さったまま、抜けないトゲがあるのかもしれませんね。。
痛いでしょう、そのトゲ。。
そのトゲを抜く方法はね。
「あの時、あんな風に言わないでほしかった!」
「あの言葉、すごく傷ついた!悲しかった!」
「本当は○○って言ってほしかったよ~」
「もっと(こんな風に)愛してほしかったよ~」
という、当時の自分の気持ちを、自分で分かってあげること。
自分で慰めてあげること。
その頃感じられなかったような十分な愛を、自分に与えてあげること。
それができたら、その一連のことを、人に話す。
話す、と放す。
話せると、放れる。
痛くて、力んで、握り締めて、傷だらけになっていた自分を。
もうそろそろ、抱きしめてあげたらいいんじゃない?
愛してあげたらいいんじゃない?
「愛されてない」と感じるたびに疼くトゲから、
「どうせ私は愛されない」という呪縛から、
解放されたら良いんじゃない?
それから、誰かがあなたに与えようとしてくれている愛を、ちゃんと受け取って。
その愛は、あなたにとっては分かりにくいかもしれないけど、「受け取ろう」と思えた瞬間に、きっと分かりやすい愛に変わるから。
避けていても、意味がない。
避けていたら、永遠に愛されない。
愛されたいという気持ちから、目を逸らさないで。
きっと、あなたは心の底から愛される人だから。
「夫婦関係」専門コンサルタント、椎名優理でした^^
P.S
「こんな話、話せる相手がいないよ~」という人は、私たちのところに来てみたら良いと思いますよ^^
これまで来てくれた人も「こんなこと今まで人に話したことなかったけど、聴いてもらったらスッキリした!」という人ばっかりなので♪