「もっと努力できる自分になりたい」と思ったら、読んでほしいお話

「”生きる”とは、”実感する”ことだ。
人はみんな、”実感”したがっているんだ。」
今日の午前中、コンサルの仕事を終えた直後に、急にそんな言葉を思い出した。
今日のコンサルのクライアントさんが、「やりたくないことはやらず、やりたいことしかやってこなかった。特にコツコツ積み上げるような練習とか、人間関係とか。いつもやりたくないことを避けてきた…だから自分は努力や忍耐ができないんだ。してきたのかもしれないけど、実感がないんだ。」と話していたからだ。
「努力できない自分」。それって、本当?
私たちから見れば、その方には長年も続けている事業もあり、常に新しい取り組みや革新的なアイディアを生み出す努力をしている人。そして、「やるべきこと(やりたいこと)」と「やらなくて良いこと(やりたくないこと)」の選別がとても上手い。
でも、本人にとっては「やりたいこと」しかやっていないことになっている。
こんな風に、”努力や忍耐をしてきた自分”への評価が低いのと、その実感が持てないのは…とても勿体ないと、私は思いました。
さぁて、どう伝えたものか。
まず、「実感が湧かない」という方。
この場合、その実感を湧かせる方法は2つ。
「①実感できるまで、やりたくないこともとことんやって、納得のいく結果を残すまで続ける」か、「②自分自身でやってきたことを認める」か。
この方の場合は、もうすでに何度も①に挑戦しようとしてきた。でも、もう疲れてしまっているのが目に見えていた。何度も何度も、それをやってみようと思ってきた。でも、できなかった。そして「できない」ということだけが身に染みていた。
私は「やったことのない、やりたくないこと」なら、ぜひやってみたら良いと思っています。
でも、何度も何度もやってみようと思ってできないことって、本当にやりたくないことや、本当に向いていないことの場合が多いと思っていて。結局どんなにそれに挑戦しても、元々それが得意な人のようにはなれないし、全く違うアプローチによってそれが上手くいくことも多い。自分自身の経験上もそうだし、これまで色んなクライアントさんを見てきて、本当にそう思う。
なので、諦めて止めたり方向転換するのは、全然逃げじゃない。
「逃げ」と言いたい人には、言わせとけ(笑)。
そもそも、「逃げる」選択肢なんて、「挑戦」を選ぼうとした人にしか生まれないんだから。
まして、「諦めるべきか否か」の葛藤は、何度も挑戦しようとした人にしかできないんだから。
話が逸れたけど…そんなわけで、今このクライアントさんに必要なのは②。「自分自身でやってきたことを認める」ということ。
自分にとって当たり前に続けていることって、人は「努力した」と思えないことが多くて。
特にそれが試合や作品で結果が見えるものや短時間で習得できるものでないなら、なおさら。
無意識に続けてきたことなんて、そもそもそれを「続けている」という事実に気付くところから始める必要があるんですよね。
例えば事業をしている人なら、取引先や従業員への給料や支払いを一度も滞らせたことがないことも、当たり前かもしれないけど立派なこと。事業が存続している間、ずっとその人たちの生活を支えていたんだから…。
例えば主婦なら、子どもが今日も元気に学校に行き、旦那さんが元気に働いていること。先生や実家、身近な誰かの力を借りながらかもしれないけど、毎日家族が快適に生活できるように務めるのは大変な努力のタマモノなんだ。
例えば会社員や学生なら、寒い日も暑い日も、花粉症で一日中鼻水が止まらない日も、外に出て通勤通学することも、実はとてつもない忍耐力が必要なんだ。
「それくらいのこと、誰でもやってる」と思わないで。
「みんなができることには、価値がない」と思わないで。
その「当たり前」の価値に気づくことは、意外とみんな苦手なんだよ。
自分にとって「普通」の基準が高い部分に気づくことは、意外と難しいんだよ。
なので今日のクライアントさんには、「これまでを振り返って、努力してきたこと、忍耐してきたことを、ぜひご自身で認めてみてくださいね。」とお伝えしました。
時には、「私がずっと続けてきたことって何だと思う?」と、身近な人に聴いてみるのも良いと思います。自分では発想もしなかった答えが返ってくるかもしれませんよ^^
最後に…こうして1つ1つ振り返ってみる「実感」というのは、自分が想像していた「実感」とは違うかもしれません。最初は、「へぇ…そうなんだ…(自覚ないけど)。」くらいにしか、思わないかもしれない。
けれど、それをちゃんと言葉にして、ノートにでも書き留めてみてください。そうすると、何度も色んな人から言われた言葉や、自分にとって新鮮だった言葉が積み重なって、いつか「こんなにできてたんだ!」「こんなに色んなことをやってきたんだ!」と思える日が来ます。それは、自分にとって「当たり前」の価値に気付こうとした、当然の結果として。
もしかしたら何も意識しなくても、死ぬ間際に走馬灯がよぎれば、その瞬間が訪れるかもしれないけど(笑)。できることなら、もっと早く実感できると良いですよね。
無意識だと通り過ぎてしまうようなことも、意識すればちゃんと気がつけるようになります。
「これは当たり前すぎるだろう~」「これを”価値”と言ってしまったら、激甘すぎるだろう~」という部分でも、スルーするよりは一歩前進。
「あんまり自分には努力してきたことがないな…」「もっと努力できる人になりたい!」と思う人は、ぜひ「当たり前」を振り返って、これまでの自分の努力にも目を向けてみてくださいね。
椎名ゆりでした^^