「”向き合う”って、つまりどういうこと?」の答え

「”向き合う”って、つまりどういうことですか?
ただ向かい合っていればいい…ってワケじゃないですよね?
具体的には、何をしたら向き合ったことになるんでしょうか?」
昨日は千葉からコンサルを受けに来てくださった方が、こんな質問をしてくれました。
おお、確かに(笑)。
「自分と向き合う」
「パートナーと向き合う」
私たちは、この言葉って当たり前のように使ってしまってるんですが、確かに「つまり、どういうこと?」って思う方もいるかもしれませんね。
「向き合う」とは、つまり…
端的に言うと、私たちの言う「向き合う」というのは、
「意識的に、あるいは無意識的に避けたくなるもの(不快感)」から逃げない。
避けたくなる気持ち
避けている事実や
不快感が「ある」ということを
ちゃんと認める、ということ。
「自分と向き合う」の場合は、自分の心の中に避けたくなるようなものが「ある」という事実を認めること。
「パートナーと向き合う」の場合は、
自分の心の中に避けたくなるようなものが「ある」と
事実を認め、相手に伝わるように表現することであり、
相手にも、それをさせてあげるということ。
一時の衝突や誤解を招く可能性があっても正直に、誠実に、素直に。
自分の考えも、感情も、
どう思われるか心配になるような心の奥にある本音や願いも、
全部出す。思い切って出す。出し切る。
そして、相手がそういう考えや感情や本音を持っているということや、その事実があるということを、認める。受け取る。受け容れる。
それが、「向き合う」ということです。
相手に全部出すのが怖いのは「幻想」
もしかしたら、相手の前でそれらを全て出すということは
「最低な人間に成り下がる」と感じることかもしれないし、
「軽蔑される」と感じることかもしれないし、
「自分が大切にしてきたものを失う行為」と感じるかもしれない。
でも、大丈夫。
それらの不安や心配は、全て幻想です。
なぜなら、相手はあなたが「自分の全てを出してみよう」と思えるほどの人だからです。
あなたは、あなたが自分の怖さや弱みを告白したときに、その怖さや弱みに追い討ちをかけるような人を、パートナーに選ぶでしょうか?
きっとそうではないはずです。
この人なら、わかってくれるんじゃないか。
この人なら、親身になって一緒に考えてくれるんじゃないか。
「この人なら」というものを、きっと感じているでしょう?
だから相手を信じて、相手に伝える前に感じている恐怖なども、先に正直に話してしまえば良いんです。
あるいは、こんな考え方もあります。
パートナーはあなたの鏡です。
あなたは、もしもパートナーが勇気を振り絞って、自分の怖さや弱みを伝えようとしてきたとしたら、どうするでしょうか?
一生懸命、気持ちに寄り添ってあげよう、わかってあげようとするのではないでしょうか?
同じなんです。相手も、あなたも。
それに、そういう「前置き」があった上で話が始まると、人って自分に想像できる限界のところまで「最悪の想定」を勝手にしてくれるもので(笑)。
大概は、「え、今までそんなこと気にしてたの?!」「それって別に普通なんじゃない?」「そりゃあ、しょうがないよー」みたいな反応が返ってくるものです。
あるいは、相手が自分の想像を上回る体験や考えを話してくれたり(笑)。
「向き合った」あとに、残るもの
自分が心を開いた分だけ、相手も心を開いてくれる。
ヒトって、そういうものなんですよね。
だから本当に向き合えたときって、「あぁ、良かったなぁ」という安心感や幸福感、満たされている感覚が残ります。
自分自身との向き合いも、パートナーとの向き合いも、他の誰かとの向き合いも然り。
「分かってもらえて良かった」
「分かってあげられて良かった」
「怖がる必要なかったんだ」
「何があんなに不快だったんだろう?」と。
心がスッキリと、晴れやかな気持ちになるはずです。
これは向き合えたかどうかの、1つの指標ですね^^
あ、あと最後に1つだけ。
「避けたくなるようなもの」って、必ずしも悪いものばかりとは限りません。
が、長くなりそうなので、その話はまた明日。
「夫婦関係」専門コンサルタント、椎名優理でした^^