子どもが登園拒否や登校拒否をするとき

こんにちは。椎名優理です^^
最近娘が嬉しそうに幼稚園に行っています。
ところが、先月「行きたくない~」と言って、登園拒否する日が1週間くらいありました。
それで、今朝ふと気がついたことがあります。
今日は子どもの登園拒否や登校拒否に悩んでいるお母さんに向けたお話です。
ヒトが行動する動機は2つしかない
これは子どもに限らずなんですけど、ヒトが行動する動機って2つに分けられるんですよね。
1つは「快楽(楽しい、安心、いい気持ち)」を得るのため。
もう1つは「痛み(苦しみ、恐怖、イヤな気持ち)」を避けるため。
例えば、幼稚園や学校に行くことが”友だちと遊べるから””給食が食べられるから”という理由で行きたがるのは前者。”苦手な科目のテストがあるから””いじめられているから”という理由で行きたがらないのは後者、といった具合に。
今挙げた2つの例はかなり王道と言うか、ありがちなパターンだと思うんですよね。
でも実は「行きたい」にも2パターンの動機、「行きたくない」にも2パターンの動機があることに気づいたのです。
幼稚園や学校に「行きたがる」とき
子どもが幼稚園や学校に行きたがるパターンの1つは、さっきお話したような”仲良しの友だちと遊べるから””おいしい給食が食べられるから”という「快楽を得る」動機です。
もう1つのパターンは、”行かないと怒られるから””幼稚園や学校以外に居場所がないから”という「痛みを避ける」動機です。
家にいたくなくて、学校に行きたがる…。ちょっと寂しいですが、虐待されている子の中には、少なからずそういう子がいるでしょうね。。
幼稚園や学校に「行きたがらない」とき
反対に行きたがらないパターンの1つは、これも最初にお話した”苦手な科目のテストがあるから””いじめられているから”というという「痛みを避ける」動機です。
そしてもう1つのパターンは、”学校や幼稚園ではできない、やりたいことや行きたい場所がある””両親や家族と一緒にいたい”という「快楽を得る」動機です。
娘が幼稚園に行きたくなかった理由
先月うちの娘が幼稚園に「行きたくない」と言ったときは、まさに「快楽を得る」動機でした。
「ママとパパと一緒に海で遊びたい」
というのも、ちょうど先月1週間ほど娘を祖父母の家に預けて、夫婦で合宿に行った時期があるんですよね。その間、特に寂しいということもそんな素振りもなく、娘はとても良い子で過ごしていたようなんですが…。私たちが帰ってきた次の日、「行きたくないー。パパとママと遊ぶー!」と、幼稚園行かない宣言。
私たちは「1週間よく頑張ったんだな…」と思いながら、とにかく一緒に遊びまくりました。
そうしたら・・・。満足した様子で、自ら「明日幼稚園行くー」と言ってきました。
祖父母の家で寂しくはなかったけど、幼稚園で友だちと遊ぶのも楽しかったけど、両親から得られるものはまた別ものなんですよね。娘が私たちのところへくるときは、たいてい愛のエネルギーを充電しにきているように感じます。そして満タンに充電されると、意気揚々と出かけていく…。まるで、ひな鳥が自立するために、はばたく練習をしているかのようです^^
”痛み”による”支配”
実はうちの娘はこれまで5つの保育園と2つの託児所、1つの幼稚園にお世話になったことがあります。その理由は主に登園拒否と言うよりも数回の引越しと、その度に待機児童の関係で一時的に家から遠い園に通い、のちに転園した結果なのですが…。
その中で唯一、「この園には本当にもう通わせられないな」と感じた園もありました。その園は、これまでに行ったどこの園よりも、”子どもたちがよくできている”と感じた園でした。例えば運動会でも、先生が近くにいなくても全員決まった動きができたり、発表会で何曲も踊りや合奏が披露できたり。
”よくできている”と言えば聴こえは良いけれど、歌や踊りが大好きな娘が、死んだ魚のような目をして踊っているのを見て、「これは良くないなぁ…」と感じました。
その時家の近くでは入れる保育園がそこしかなかったので、3ヶ月ほどお世話になっていましたが、案の定ある日突然大泣きして「行きたくない」と訴えてきました。
当時まだ4才だったので「どうして行きたくないの?」と聴いてもなかなかうまく答えられない娘でしたが、根気よく聴いた結果、「楽しくない」「どうしても行きたくない」「先生が怖い」と話してくれました。
それを聴いて、『あぁ、やっぱりこの園は「痛みを避ける」動機を使って子どもたちを行動させているんだな』と思ったんですよね。
でも同時に、『娘がそこに馴染まなくて良かった』とホッとしました。
登園・登校拒否の子が自然と「行きたい!」と思うとき
「行きたくない」という理由が「快楽を得る」ためだったとしても、「痛みを避ける」ためだったとしても、まずは子どもの話をよく聴いてあげるのが本当に大事ですよね。
例えば「先生が怖い」って、「私たちの時は、もっと怖かったわ!」とか「そんなに打たれ弱かったら、将来が心配だ!」と思うこともあるかもしれないけど、そんなの関係ねぇ。と、子どもは思っているはずです(笑)。
先生に怒られる理由が正論だとしても、子どもが理解できてなければ意味がない。
”何故怒られているのかわからない怒られ方”って、正論だとしても理不尽としか感じられないし、子どもには恐怖とストレスしか残らないんですよね。
他にも「それくらいのことで」って思うようなことが子どもにとっては大きなことかもしれない。「お母さんに甘えたい」が言えなくて、外で何かあった風な理由を持ち出しているかもしれない。あるいは親に心配かけないために、甘えてるフリして深刻な理由があるかもしれない。
たまに「暑いから外に出たくない」という、冗談みたいなのもありますけど(笑)。
「行きたくない」には、本当に色んなパターンがあると思うんです。
全ては、じっくり心を重ね合わせて聴いてみないことにはわかりません。
それから、「快楽を得る」動機は「痛みを避ける」動機と比べて深刻ではないためにないがしろにされがちです。
でも、子どもにとって「快楽を得る」動機大切にしてもらうことは、愛を感じることとイコールなんですよね。
私自身も、子どもの頃「私が一番したいことを、させてくれない。私は大切にされてないんだ。」と思い込んでましたから、間違いありません。
もちろん、大人になって心理学を学んだことで「ちゃんと大切にされていた」とわかりましたが、カウンセリングをしていると「私は大切にされてない」と傷ついて、恋愛やパートナーシップをこじらせている人はかなりいます。
だから「快楽を得る」動機を満たしてあげることは、とても大事。
それに子どもの本当の「快楽を得る」動機は、早めに思いっきり満たしてあげると、あっさり「行きたい!」に変わったりします。なので、親としても子どもとしても、実はその方がストレスが少ないんじゃないかと思います。
もちろん、「仕事休めないし…」っていうのはあるかもしれないけど、じゃあ何のために仕事してるの?家族で幸せに暮らすためじゃないの??じゃあ今この瞬間はどうなの?明日人生終わるかもよ?っていう話ですよね。
ちなみに私は、家族との時間や対話を大切にできないなら、仕事をやめると決めています。それは過去に、「どんなに人の役に立つことだったとしても、どんなにお金になる話だったとしても、家族の心と引き換えに達成されたところで虚しい」と気づかされるような経験をしたからです。苦いけれど、私にとってそれは必要な経験でした。
「何のために行くのか」を押し付けるのではなく、引き出す
子どもが幼稚園や保育園や学校に行くのって、何のためなんでしょうね。
その理由が「快楽を得る」動機で、子ども本人が心から大切に思えたとき、自然と行きたくなるのではないでしょうか。
登園拒否や登校拒否に悩んでいる人は、子どもと一緒に自分の価値観を見直すタイミングなのかもしれませんね^^
自分が本当に大切にしたいことは何か?
子どもが本当に願っていることは何か?
明日死んでも悔いのない選択をしているか?
自分にとって本当に大切なものを大切にしながら、子どもの本当の願いを叶えられる親でありたいですね^^
セラピスト、椎名優理でした。
・・・なんか今日、めっちゃヘビーな話になっちゃったな~(笑)。